76年前、日本はアメリカとの戦争を開始しました。
1941年12月8日(日本時間)に真珠湾への奇襲攻撃を行い、
大東亜戦争(太平洋戦争)に突入したのです。
時のアメリカ大統領、ルーズベルトは、日本の攻撃を
「恥知らずな蛮行」、「騙し討ち」と激しく非難し、
国民に広がっていた「反戦ムード」をひっくり返しました。
太平洋戦争に関するアメリカ人の“一般的な”認識は
今も大きくは変わっておらず、
「軍国主義日本の騙し討ち」
というもののようです。
日本国内でも、似たような認識がまだまだ
支配的かもしれません。
しかし!ルーズベルトは
「何が何でも対日戦争を起こす」(!)
という確固たる意思を持っていました。
【その真実】は⇒こちらから
彼はイギリスのチャーチル首相に、
「私は決して宣戦しない。私は戦争を造るのだ。」
と語ったとされています。
それでは・・・なぜルーズベルトは対日戦争を
起こさなければならなかったのでしょうか?
ルーズベルト政権内には、戦争回避のための交渉努力を
徹底的に妨害した勢力がいました。
それが【コミンテルンのスパイ】です。
1995年に公開されたアメリカ合衆国の公文書
「ヴェノナ(Venona)文書」で、日本が対米戦を決意するきっかけとなった
「ハル・ノート」の原案を作成したのも、ソ連の北方領土
侵攻を決定した「ヤルタ会談」に大きく関与したのも全て、
ルーズベルト民主党政権内部にいたコミンテルンの「工作員」
だったことが暴かれました。
【コミンテルンの正体】
旧ソ連の組織・コミンテルン(共産主義インターナショナル)が
世界の共産党を支配下に置いた強大な組織であり、数多の謀略を
手がけていたことは史実です。
もちろん、コミンテルンとて万能ではなく、日米開戦の原因
全てをその謀略に帰することはできないでしょう。
それでも、彼らに「日米に戦争をさせる」という強い意図があったこと、
そのために様々な工作を行っていたことは間違いないのです。
そして、コミンテルンの謀略が世界に与えた影響が、現代の
日本をも呪縛し続けていると言ったら、あなたはどう思いますか?
百聞は一見にしかず。
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